2009年7月23日

バレーボールのルール

バレーボールは、女性や子供が気軽に楽しめるレクリエーションとして1895年2月9日、アメリカ合衆国でウィリアム・G・モーガンによって考案された。このころのルールは非常に単純で、試合に集まった人たちを同じ数の2チームに分けて、ボールを打ち合い、ボールを落としたほうが負けというものであった。

1896年、モーガンはこの新ゲームをスプリングフィールドで開催されたYMCA体育指導者会議の際に公開した。モーガンはこのゲームを当初ミントネット(Mintonette)と名付けたがこのゲームの公開後、名称をバレー・ボール(volley ball)に変えた。1952年に現在のようにバレーボール(volleyball)と一語で表すようになった。

バレーボールはまず各地に点在するYMCAを通じてアメリカ全土に広まっていき、1900年にカナダ、1906年にキューバに紹介された。

日本では1913年にYMCA体育主事のF.H.ブラウンによって、バレーボールが紹介された。この時はまだしっかりとルールが出来上がっていないころであったので、日本が独自にルールを作っていった。チームの人数は最初は16人であったが、12人に変わり、続いて9人となり現在の9人制バレーボールに近いものが出来上がった。

ヨーロッパにバレーボールが紹介されたのは1920年ごろで、第1次世界大戦で渡欧したアメリカ軍兵士によってフランスからイタリア、チェコスロバキア、ポーランド、ソビエトへと普及していった。このころにはチームの人数も6人と決まっており、すでに現在の6人制バレーボールに近いものが出来上がっていた。ソビエトでは1925年にロシア共産党の中央委員会が『100万人のバレーボール』のスローガンを掲げソ連バレーボール協会を設立し、本格的にバレーボールの発展に取り組んだ。

バレーボールは世界各国のYMCAを通じて国際的に普及し、1924年パリ五輪ではアメリカのスポーツとして紹介された。

1947年には国際バレーボール連盟が結成され、アメリカ式のルールを修正し国際ルールが出来上がった。

1949年に第1回バレーボール世界選手権が行われた。日本が国際バレーボール連盟に加盟したのは1951年であった。当時日本のバレーボールの主流は9人制であり、国際試合で使われる6人制バレーボールはよく知られていなかったので、取り入れることになった。

1950年代に入ると東欧諸国ではソビエトの高さとパワーに対抗するために技術開発が進められるようになった。特にチェコスロバキアは次々と新しい技術の開発に着手し、速攻、フェイント、ブロックアウトなどの戦術を編み出した。

1964年東京五輪からバレーボールが正式種目に加わった。コンビネーション・バレーが確立されたのはこのころからで、回転レシーブ、時間差攻撃など日本独特の技術が編み出された。

日本では協調性を養うスポーツとして、中学校・高校の体育で扱うことが多く、一般的に定着した。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用

中学の頃、学校のお昼休みはみんなでバレーボールが日課でした。


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